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私について

はじめまして、「なる」です!

このブログのタイトルにあるように、
私は後先考えず勢いで会社を辞め
現在フリーランスとしてギリギリ生計を立てているアラサーです。

具体的には、Webマーケターとして
Instagram運用代行を軸に活動しています。

こんな私ですが、フリーランスになる以前は
旧帝大の大学院を卒業し、大手メーカーで研究職に就いて
誰もが羨む安定したキャリアパスを歩んでいました。

ではなぜ、
安定した道を捨て、崖っぷちのフリーランスの道を選んだのか?
そして、どうやって崖っぷちから抜け出し、安定収入を目指していくのか?

この2つについて、私の人生を遡りながらご説明していきます。

幼少期〜中学時代:成績だけが自慢の田舎のイキリ娘

私は、東北の南のほうの田舎町にあるごく一般的な家庭に生まれました。

父は家庭の事情で、
母は「女は大学に行く必要がない」という親の反対で、
大学進学を諦めた過去がありました。

そんな2人の間に生まれた私は、
「我が子には大学に行って、いい会社に入って欲しい」
という思いを託され、愛されながらも教育熱心に育てられました。

地元の小学校・中学校に進学しましたが、
両親の熱心な教育のおかげで常に学年トップ。

すっかり天狗になってしまっていた私は、
「自分は大物になれるぞ…!」と信じ込んでいて
将来の夢は総理大臣、とか
東大に行くんだ、とか

今思い返すと恥ずかしいことを堂々と言っちゃっていました(笑)

ここで、私の中で「勉強できて当たり前」という
価値観が生まれ、
「まだここまでしかできていないの?」と
友達を泣かせてしまったこともありました。

高校〜大学時代:井の中の蛙を思い知る意識低い系女子

高校は地域トップの進学校に合格。
そしてお察しの通り、
自分より頭の良い人間はごまんといることを知りました。

勉強も、中学までと同じやり方ではなかなか成績が伸びない。

「成績」という数字に自分の価値を感じていた私は、
自我を保つために「難関大学」に入ることを目的として高校生活を過ごしました。

テストで100点をとることを目標に
小学・中学時代を過ごした私はいつの間に、

「成績」という外部からの評価でしか
自分の価値をはかれない人間になってしまっていたのです。

浪人こそしましたが、なんとか志望校に入ることができた私。

自分の自信を保つことができた一方、
「いい大学に入ること」を目標にしていたため
入学後何もやりたいことがなく、
からっぽなキャンパスライフを送ることとなりました。

インターンに行ったり、留学したり…
行動する同期たちを見て私は
「意識高い系は違うな」と、
意識高い系という言葉に逃げることで行動しない自分を正当化。

私は、他者との比較をし続けることで
自分の価値を保つことが当たり前になってしまっていました。

いつしか次の目標は、
「みんなが知ってる有名企業に就職して、いっぱい稼ぐバリキャリになる」
に書き換わり

自己分析をしっかりせず、
大学の専門を活かせる&そこそこ有名企業という単純な理由で
簡単に就活を終えてしまいました。

ここから、私の人生は大きく揺らぎ始めます。

 

新社会人時代:大企業でバリキャリを目指すも…

自己分析さえしていなかった私は、入社後はずっと
上司に言われたことをこなす毎日を送っていました。

人気だから、という理由だけで業界を決めたため
業界自体に全く興味がなく、勉強にも身が入りません。

始業から終業まで一日中時計を見つめ、
仕事の時間が過ぎるのをただ待つだけの日々が続きました。

その頃の私のモチベーションは
「やらないと怒られる、怒られたくない」。

とにかくゴマをすりまくっていたため、
上司からは「仕事熱心で意欲のある子」と勘違いされてしまい
これもまた自分を苦しめる要因に。

転職する親友、仕事を楽しいという先輩への劣等感を感じつつも
「せっかくいい大学・いい会社に入ったのに、辞めるのは勿体無い」
「今辞めたらこれまでの過去が全部無駄になってしまう…」
と今までのレールから外れる勇気も持てず。

入社から1年経つ頃には、
「転職したい」が口癖なのに
何も行動しないデモデモダッテちゃんと化していきました。

社会人3年目:人生への後悔でメンタル崩壊

そのまま3年間、目標もなく惰性で働き続けました。

上司へのゴマすりは悪い方に働き、
「理想の部下にならないといけない」というプレッシャーとなり
会社に行くことが本当に苦痛でした。

そしてある日、ちょっとしたミスで仕事が手につかなくなりダウン。

幸いすぐ回復できたのですが…

このまま会社に戻ってもまた倒れてしまうのではないか?
このままあと40年働き続けることはできるのか?
わたしが目標にしていたのはこんな生活だったのか?

転職するにしても、なにをしたいのかわからず行動できない…。

そんな時、たまたま見ていたInstagramで、
「インスタ運用代行」というお仕事を知りました。

元々Instagramが好きで、
自分の好きなことを発信して収入を得ているアフィリエイターに
憧れを抱いていた私。

自分もやってみようと思ったものの、
発信したいことがなく始める前に挫折していました。

でも、だれかのInstagramを代わりに運用することだったらできるのではないか?

元々プレゼン資料を作ることが好きだったので、
インスタの画像作成は仕事にできそう。

でも、それだけじゃ収入につながらない…

私は必死で調べました。
それこそ、就活なんて比較にならないくらい夢中になって
インターネットの中を駆け巡りました。

そして、Instagramを仕事にするためには
マーケティングの知識が必要だということ。

さらに、マーケティングはInstagramだけではなく
サービスに関わる全ての業界で使えるスキルであることを知りました。

これしかない。

そう思った私はマーケティングとインスタ運用代行について学べる
『リモラボ』に入会することを決めました。

そして、「自分を変えるためには環境をがらっと変えるべきだ」と感じた私は
会社に戻ることを選択せず、退職して独立することを決意したのです。

ここから、私は崖っぷちフリーランスとなりました。

現在:初めての自己肯定

勢いで会社を辞めてしまったので収入0からのスタート。
なけなしの貯金は奨学金返済と生活費で減っていきます。

入会した『リモラボ』では、
これまでの人生とこれからの人生を言語化し
これからの行動指針を決めるワークがあります。

人生の目的から自分が歩むキャリアを考える経験は
就活サボり勢の私にとっては初めての経験。

はじめは目標もぼんやりしていてワーク自体非常に苦痛だったのですが
真剣に自分と向き合うことで、ロードマップを作り上げることができました。

このロードマップについてはこちらの記事で解説しています。

そのロードマップ通りコツコツ着実に行動を続けた結果、
フリーランスとしての道を歩み始めて8ヶ月、
月収は0から30万円にまで上がりました。

自己分析で自分は「情報を構造化しわかりやすく伝える」ことが得意とわかり、
それを活かしてInstagramの投稿作成資料作成のお仕事を
させていただいています。

 

私の人生の目標は「自分の強みを活かして社会に貢献する」こと。
そして1年後の目標として月収50万円の達成を設定しています。

今は奨学金の返済や保険料・年金の支払いでヒーヒーしてますが(笑)
収入を上げ、生活にもゆとりが持てるようになりたいです。

でも、今の生活は本当に楽しいし
崖っぷちでも楽しく仕事をしている自分が大好きです。

最後に

このように、人と比べて自分の価値を
仕事を辞めてようやく自分軸で自分自身を見つめ直し、
肯定することができるようになりました。

安定ルートから外れるときはとても勇気がいりました。
でも、これまで
やり直したい一心で行動し、今は楽しく働けています。
お金よりも大事なやりがいを得ることができました。

次は、やりがいに安定的な収入をともなっていけるよう
少しずつステップを踏みながら成長していきます。

このブログでは、
私の目標達成までの過程を紹介していきます。

具体的には以下です。

・SNSをはじめとするWebマーケティングの学習法
・どのように月収のレベルを上げていったか
・自分のやりたいことをどうやってみつけてきたのか

同じように今の仕事に悩みを持っていたり、
やりがいを持てていない方にとって
人生のキャリアの選択肢を広げるきっかけになればと思っています。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。